幽栖録

極私的備忘録

 こちらで読んだ本

『だから混浴はやめられない』山崎まゆみ 新潮新書
著者はいくつくらいの人かしらん。混浴讃歌の書だな。やはり行ってみたくなる。先ずは白骨温泉でしょうか。

『新華僑 老華僑』譚路美 劉傑 文春新書
最後の対談で、著者二人とも日本をえらく褒めているように思えるのだけれど、これは本当なのかな。日本に気を使ってるんじゃないかとか考えてしまう。もっとも、もう私などの知らない、というか気がつかないほどの速さでいろいろなことが変わり始めているのかもしれない。とすれば、私が歳をとったということになるわけか。

おまえが若者を語るな!』後藤和智 角川oneテーマ21
これは良い! 著者は1984年生まれの24歳。「あとがき」の一行目が「多くの読者は、なぜ今更宮台真司などという、ほとんど忘れ去られた論者を批判するのか、と思われるかもしれない」である。 いや〜、良いなぁ。 こういう活きのいいやつの登場を待ってたんだよ。 宮台真司ブルセラ肯定論を唱えて登場し、旧来の例えば吉本隆明あたりから「ホンモノの馬鹿」呼ばわりされたのが、すでに今は昔である。 で、著者は要するに理系あるいは工学的な感覚を持った人で、文系的な感覚的決め付けが嫌いなんだな、というのが私の理解である。ここで工学的とか文系的とか言っているのも、実にいい加減な表現だけどね。学者・研究者ならば、もうちょっと実証的にものを書いてもらわなきゃダメだ、という、まあ確かにそりゃそうだよなぁという考え方がこの著者の立場なんだな。著者の主要な論点は、現在の現実にある諸問題を若者論で片付けてしまう傾向への反感であり、これは正しい。同時にもう一つ、著者が批判する若者論者の言説が含んでいる大衆(若者)蔑視感への反発があり、これも多分正しい。「多分」というのは私もちょっと大衆蔑視感へ共感する部分が無いでもないからそういう表現にしたんだけどね。ともかくも、24歳の若者からの実にまっとうな年長者への批判の書である。(こう書くと著者の嫌う「世代論」になってしまうか。)(第3章まで)
最近の若者はこうなんだ、という、当の若者から見れば勝手な決め付けに過ぎない論にうんざりするという気持ちはわかる。もうひとつ、そのような勝手な決め付けが、本当に必要とすべき政策をないがしろにしながら、しかし教育政策を左右しているという現状にイラつくのもわかるな。要するにお前ら(宮台を始めとする世代の、著者にとっての年長者)の言ってることはただの(中身の無い思い込みによる)説教なんだよ、と言うことで、たぶんそれは当たっている。 まあ宮台真司にしても、こういう元気な若者が出てきたことに喜びこそすれ、まさか潰しにかかるなんてことは無いだろう。
ところで、香山リカのプチナショナリズム論は、かつて読んで、この人はえらく古い時代の左翼的感性を持った人だなと思った記憶がある。それ以後、もう一冊、福田和也との対談だったかの新書を読んで、ほとんど無内容なその内容に驚いて、それ以来香山の言説は目にしていないんだが、『世界』とかそういうところで彼女は便利に使われてたのね。 今回、鈴木健介とか東浩紀とかも持ってきてるんだけど。さて、これから『サブカル・ニッポンの新自由主義』を読もうか。あるいは『思想地図』の方にしようか。

サブカル・ニッポンの新自由主義鈴木謙介 ちくま新書
なんとも大変な(シンドイ)世界に我々は(そして君たちは)生きているよなぁ、と思う。

『刑法入門』山口厚 岩波新書
わかりやすく書かれている。内容はもちろんそれなりに難しいが。

『ほんとはこわい「やさしさ社会」』森真一 ちくまプリマー新書
なんとも大変な(シンドイ)世界に君たちは生きているよなぁ、と思う。年寄りに席をゆずろうと考えるのだけれど、しかし相手が年寄り扱いされて怒る=相手のプライドを傷つけるかもしれないので、それを避けるためにあえて席をゆずらない、という話が出ているのだが、これは多分、席をゆずっても、相手に断られてしまった場合、自分の立場が無くなる、というか公衆の面前で「恥をかかされた」と思ってしまう=自分が傷つく、のを避けるため、それを相手へのやさしさという理由にして、行動しない、ということなんではなかろうかと思う。 自分が傷つくことを過剰に恐れる(だからこそ人を傷つけることも過剰に恐れる)人が増えている。これは、人としての「弱さ」ではなかろうか。それぞれがオンリーワンであるからこそ、それぞれが異なる見方を持っているのは当たり前で、その異なる見方を互いに披露しながら、理解しあう、ということが重要であるように考えるのだが、どうもそうではなくてオンリーワンであるということを無条件に尊重してしまうために、人が披露した見方に対して異を唱えることが出来ない、という構図になっているという話である。これを書きながら、しかしそれは偏差値の問題ではないか、という疑念?が芽生えてきてしまったぞ。(しかし、そうでもないのかもしれないとも思う。)
もうひとつ、これは若者論の一つと考えることが出来るだろうか? 後藤和智の見方を聞きたいものである。
最後の方で著者が言うように、気楽に生きればよいだけの話ではあるのだが。ノホホン、ノホホンと。