幽栖録

極私的備忘録

 『ドキュメント 死刑囚』篠田博之 ちくま新書

著者は『創』の発行者・編集長だった。なるほど。3人の死刑囚の話。その内、宮崎勤小林薫、の二人の死刑囚とは、直接手紙のやり取りをしたり面会をしたりしていて、その様子が書かれている。
二人とも、過酷な境遇があって、おそらくはそこから生まれたルサンチマンの爆発とも言える心情によって事件が起こされている。過酷な境遇、というのは著者によれば、父親の抑圧=暴力ということが大きいのだが、そのような状況というのは、しかし彼らの場合だけではないはずなのは確かで、そのような状況が、彼らの心の(脳内の)どこかで異常な回路に結びついてしまったということなのだろうか? 例えば、宮崎の父親は多摩川へ身を投げて責任をとっているし(それが責任の取り方としてどうだったかは別として)、母親はおそらく彼女一人でも生活してゆくのに困難があるだろう状況の中で、被害者に金銭的な償いをしているし、また刑務所への面会へももちろん何回も来ているのだが、宮崎は彼女を偽の母親と呼ぶのだ。決していいかげんな両親ではなかったと思われるのだが、それでも宮崎はそうなってしまった。どうも、これを考えてゆくと、結局、どこかに精神的な傷(それは脳の損傷?)がもともとあって、それが何かのきっかけで増幅されておかしくなってしまった、というようにしか思えなくなってしまうんだな。
小林薫のほうは、弟もいて、弟はどうやら全うに育っているらしい。小林は、父親の扱いに弟へのえこひいきみたいなものを感じていた節はある。著者の面会要請に、弟は会いたくないと言ったそうで、その気持ちはわかる。
ピュアすぎるというのは精神的な弱さだけれど、小林の場合は、社会規範を守るという意識があまりないし、幼女へのいたずらにしても、まともにものを考えていないというか、つかまったらまずい、という意識が無いのだ(過去に、何回か捕まっているのに)。まあ、どうなってもいいや、いっそ死んじゃった方が良いかな、みたいに思っているだけだ。
紹介されている言動や手紙などを読んでも、どこか精神的に病んでいると思われるのだが、そうすると、結局、精神的に欠陥があるのだから、我々がまともに動機だとかを考えても始まらない、もともと危ないやつなのだから死刑に処してしまえばそれで良いのだ、という論法が出てくる可能性もある。もちろんそれは、我々自身の『思考停止』にすぎないのは、著者が最後で言っているとおりである。