『金融権力』本山美彦 岩波新書
まだプロローグを読み始めたばかりである。「金融権力」という切り口はなるほどと思わせて面白い。しかし、それを槍玉に挙げるのに持ち出している例が、どうも僕の持っている知識とずれがあるので、どうなんだろうか、という感じである。例えば、経済のグローバル化によって各国の金融を打ち倒していった、として、日本ではその被害者として長銀と山一が上げられている。で、云々との説明があるんだが、長銀の破綻は、僕の知る限りでは、すでに70年代に本来の役割を終えつつあって、借り手が減少してきたので、本来の業務とは関係の無い不動産融資に手をつけたのが破綻の始まりである。山一は、もちろん損失隠しの飛ばしと呼ばれる不正経理操作が本質的な原因で、これはグローバル化とは直接関係の無い粉飾とも言える行為だったろう。それで、時の大蔵省も見放したと理解しているのだが。また、重厚長大産業の衰えとともに多くの雇用が失われ、それに伴い労働組合が機能しなくなって、被雇用者は正社員から非正規社員に切り替えられていった。若者の多くが定職をもてなくなってしまった。と表現しているのだが、これなどもなんとも乱暴な言い方である。そもそも日本の労働組合というのが、かつてどれほどきちんと機能していたというのだろうか。どのような時間軸でものをいっているのかがよくわからない。「若者の多くが」という表現も、きわめて乱暴。銀行の自己資本比率の問題は、確かにこの著者の言うとおりの面もあるのだが、それ以前に、バブルのときに明らかになってしまったように、日本の銀行には、そもそも融資先の企業の能力・可能性ではなく、極端に言えば担保に土地があるかどうかだけでしか融資の可否を判断できないという程度の能力しかなかったのが破綻の原因だろう。で、それは、その後も実はあまり変わっているように見えないところが、また問題である。まあ、とにかくまだプロローグも読み終わっていない段階の話なんでね。これから中身を読んで見ましょう。