幽栖録

極私的備忘録

 その後、読んだ本

エンブリオ』ははきぎほうせい 集英社文庫

『あした蜉蝣の旅』志水辰夫 新潮文庫
いやはや、なんという大甘な物語。主人公は相変わらず馬鹿である。あるいは、不器用であるというべきなのか、あるいは、異常に純情である。そうであるから、大事なときに決断できない。結局、女に対して責任を持つことが怖いのである。いや、女に対して責任を持たなければならない、という意識が強すぎて、何も出来ないのだ。もちろん責任など持つ必要は何も無い。女は女の責任で行動しているのだから。それがわかっているのかわかっていないのか、結局、やはり馬鹿であるとしか言いようが無い。(しかも、異常に人が良すぎる)
主人公は今時の引きこもりと一緒で、自分が傷つきたくないのである(だから遊びは平気で出来る。相手の気持ちを考えずに)。傷つきたくないから、本心でありながらしかし軽口と受けとられるような、そんな口調でしか接することが出来ない。だが、相手の女がもし本気で惚れているとするならば、女にとってはちょっとたまらないというか耐えられないというか、けっこう厳しいものがあるだろう、そこらへんのことにはまったく気がつかないな、この男は。自覚しているかのように口にしながら、本心ではそれほど自覚しているわけでもない、本物のエゴイストである。最低の男。
さてポイントは、こういう馬鹿な男の物語を、なぜ私は飽きもなく繰り返し読むのか。まあ、物語の面白さ、というのは確かにあるな。宝探しという、荒唐無稽ともいえる縦糸。
志水辰夫は、人間というものに幻想を抱いているんではないかい? 人は忘れるよ、忘れられない人間も居る、と志水辰夫は言いたいのかもしれないが、私はそれを信じないな。大事なのは未来であって、過去ではない。過去は、未来を創るために存在しているのであって、未来を規制するためにあるのではない。過去に規制されるやつが、もしも居るとすれば、それはやはり馬鹿としか言いようが無い。さらにへんなところでおせっかいだし。まあ、そういう馬鹿を仮定するから物語が生まれてくるし、また過去をそのように扱うことに、後ろめたさを感じる瞬間があるから、物語に涙する部分が生まれてくるのかもしれない。
菊池ミカ、こんなのは志水辰夫の願望でしかない。
榊原さやか、これがいちばん真っ当な女かな、と思っていたら最後の最後で台無しになってしまった。
女性は、これを読み始めて、まあ最初の数ページで(あるいはもうちょっとすすむかもしれないが)、つまらない小説、と結論付けるのではあるまいか、という気がする、もっとも、世の中のハードボイルドと呼ばれる系統の物語のほとんどがおそらくそういう類のものだろうとは思う。そういう馬鹿な男のおかげで女がどれだけの苦労をしていると思ってんのよ、って。

『ラストドリーム』志水辰夫 新潮文庫
あいかわらず主人公はとんでもないやつだ。今回は明子も、私には解せないが。しかし、夕張とか、内牧とか、あるいは内灘とか、『あした蜉蝣の旅』を読んでもそうだったし、その前の東北が舞台になっていたやつも、読んでいると素直に旅に出たくなるな。それが彼の小説のいちばんの面白さだ。

『ものはなぜ見えるのか』木田直人 中公新書
「マルブランシュの自然的判断理論」と副題が付いている。ある種の奇書ではなかろうか。こういうものを今時書く人が居ても、それは趣味の問題だろうが、しかし、こういう本を出版しようと思った人は何を考えて出そうとしたのだろう。売れると思ったのかな。まあ、私のように手にとって買ってしまう人間も居るからな。アタマの体操というか、遊びにはなる。しかし、同じ遊びなら僕にはヘルメス・トリスメギストスあたりのほうが面白いかも。
マルブランシュなんて百科事典にも出てないじゃないか、と思っていたら、今、別件であれこれ見ていたら、平凡社のやつには「マールブランシュ」として出ていた。


by niconico