幽栖録

極私的備忘録

 拒否できない日本 関岡英之 文春新書

「大情況論 世界はどこへ行くのか」(弓立社 1992年3月)のなかで吉本隆明が、91年の日米構造協議(これは関岡によれば意図的な誤訳、英語ではStructual Impediments Initiative、このInitiativeと言う語には発議と言うような意味合いがある。American Heritage DictionaryではA beginning or introductory step; an opening moveという意味がある。)をみて「これは負けた」という意味のことを書いている。要するにアメリカに(彼らの視点から)「完膚なきまでに分析しつくされている」、対して日本からはどうか、何にも無い。「ぐうの音も出ない」。関岡の言うようにアメリカは彼らの国益のために日本に構造障壁の撤去を迫ったわけだが、日本はそれに対抗するような対アメリカ分析も理論も何も無かったということだろう。その通りである。そしてそれは今も全く変わっていない。
ところで、僕の知る限り1970年から75年にかけてが戦後の日本の大きな転換点だった、ということを初めてはっきり言ったのは吉本隆明だったと思う(「大情況論」の中の90年の講演)。で、これを読み返すと、構造協議の中でアメリカから出された日本改造案で日本はアメリカにいいように言われていて、それがいちいち当たっているのである、今から見ても。
我々日本国内に住んでいるものとしては、我々自身の立場から何が我々にとって利益のあることで、何がそうでないのか、「日本人同士で意見をぶつけ合う」ことが必要だというのが関岡の主張で、それは正しい。