幽栖録

極私的備忘録

 自由とは何か 佐伯啓思 講談社現代新書

面白いが、微妙に怪しいな。「自由」という語の意味内容が、この本の中でちょっと曖昧というかブレているというか、そういう印象を与えるのだが。
「道」は私が目的地へ到達するために必要である。道が無い状態というのは、道無き道を切り開く能力を持った人間だけが目的地へ到達できる状況だが、出来るだけ多くの人間が目的地へ到達できるよう「道」を整備するということは、まあそういう風にいってしまえば歴史の流れだろう(ここにも実は価値観が絡んでくるのだが)。「道」にはもちろん通行ルールが必要である。ルールが無ければ、道はいずれ無秩序に支配され、ただの雑踏となってしまい、通り抜けるのにまた恐るべきエネルギーが必要な場となる。そうならないために、右側通行だとか、一方通行だとか、速度制限だとか、様々なルールが必要となる。道を利用する人々は、それぞれがルールを守ることが、結局はそれぞれが遅滞無く目的地へ到達するためのとりあえずの最善の方法だろうとの共通の了解のもとにそのルールを守る。ルールを守らない人間を取り締まることも必要になる場合も出てくる。
ここで「道」を「自由」と置き換えても意味は通じる。我々の社会には自由と民主主義が必要だ、という場合、その「自由」とは社会の中の一人一人が行動するためのインフラである。一方、「私は自由だ」と言う場合、ここで使われている「自由」を「道(インフラ)」で置き換えてももちろん何の意味も持たない。自由な社会であるべきだ、という場合の「自由」と、人は本来自由だ、という場合の「自由」という語は、微妙に意味内容に差がある、とまあちょっとした思い付きだが、もう少し厳密に考えると面白いかな。