幽栖録

極私的備忘録

 「安心のファシズム」 著:斎藤貴男 岩波新書

斎藤貴男の本を読んでいると、なんか鬱々としてくるな。日本も、世界も、未来は暗澹としている。自動改札機、携帯電話の話の中で、30年近く前のテレビゲーム(インベーダーゲーム)が流行ったときの話を思い出した。やり始めるとけっこうはまって、高得点をあげられるようになろうと努力するわけだ。これで高得点をあげられるようになる、というのは間違いなく自分の技量が上がった、ということを意味しているのだが、同時に、それはどれだけこのゲーム機と一体化できるか、ゲーム機のプログラムシステムに自分を同化させることが出来るかにかかっている。本来、自分の技量を上げるということは、その技量の上昇によって自分自身の選択肢を広げるということを期待されていたはずなのだが。
自動改札機や携帯電話で得られる利便性というのも同じようなことが言える。使っている人々は便利になったと満足感を持ちながら、同時にしかしこれらは、大きな人工的システムの中に個々人が取り込まれ、その中で動いているに過ぎない。
そして(ある特定の立場の人々には閲覧可能となっている)膨大な個人情報が蓄積されており、さらに組み込まれたプログラムが、その個人情報を基に、特定の個人に「適切な情報」を自動発信するようなシステム。
すでに自動改札機と携帯電話のない(日本)社会は考えられないだろう。元に戻すことも出来まい。ならば、私はその中でどのように行動するのか、が問題ということになる。
選択肢を広げる。多様性を保証する。