幽栖録

極私的備忘録

 イラク

人質問題、ここらでちょっと整理しておこう。

  • 日本人3人について

それぞれ個人的な責任において現地に入ったのは明らかなんで、それを良いとか悪いとか言うのは意味が無い。文字通り運を天に任せて、結果として運が悪かった、ということである(あるいは、本当に運が悪ければ、襲撃を受けた時点で殺されていたかもしれないことを考えれば、まだ生きているとすればそれは運が良かった、とも言えるか)。一部の人質の素性について云々言っている輩が居るようだが、事の本質とは何の関係も無い。

  • 国の責任

しかし、だからといって国が彼らを見捨ててよいかといえば、それは違う。日本国は、文言上はどうあれ実質的には、この米国がイラクに仕掛けた戦争に国の政策として参戦したのであって、日本人が拉致されたのはその政策の結果であり、日本政府は彼らの救出に責任を負う。政府が「全力を尽くす」というのは当然である。しかしもちろん誘拐犯の脅しに言うなりになるわけには行かない。そのような中で、最悪の結果を招いたとしたら、その責任はひとつはもちろん誘拐犯にありるが同時に日本政府も持たねばならない。(その日本政府は、日本国民を代表している。)
同時に、NGO活動というのは国が支援すべき活動でこそあれ、止めろなどというのはそれこそ国際社会の笑い者になる行為である点に留意。現在世界中からいくつのNGOがイラクに行っているか知らないが、東チモールでは数十(30程度か)、コソボでは100以上のNGOが世界中から来て活動をしていた。イラクでもヨーロッパを中心に相当数のNGOが来ていただろうこと間違い無く、その中で日本のNGOだけが不在とすれば、それは自衛隊を派遣しない以上のマイナスイメージを、文字通りの意味での国際社会(米国を中心としたものではない)に与えることになる。

もう一つハッキリさせておきたいのは、自衛隊の「人道支援」だが、派遣の根拠となる法律の成立過程とその運用の方法を見ればわかるとおり、これ(「人道支援」)は米国からの要請を受けて日本が自衛隊を派遣するための方便に過ぎない。一部の人々やメディアが、そして政府もこの「人道支援」を錦の御旗として、事あるごとに唱えているが、これはかつての「八紘一宇」と同じ程度のまやかしであることを忘れてはいけない。

今、解放されたというニュースがアル・ジャジーラで出たようだ。