幽栖録

極私的備忘録

 05-15で、山形浩生のコラムについて

「どっか、根本的なところで勘違いをしているな」と書いたら、やまがたさんから「何を?」とのコメントが。
山形浩生が、勘違い(=間違って思い込むこと。思いちがい)しているのは「責任」という語の内実ですね。
曰く「今回の場合、責任ってのは十分な情報収集と装備と安全態勢確保、できれば保険でしょう。」ということなんだが、それってどの程度やっとけば、責任を果たしている、と認めてもらえんるんでしょうかね?「装備と安全体制確保」って自衛隊を護衛に連れて行けって事でしょうかしらん?なんてことも言ってみたくなりますね。まあ、山形浩生はいかにももっともらしいことを言っているんですが、要するに、捕まってしまったという結果論で「責任」を論じているにすぎないのです。そういう責任を追及するとどうなるか?もちろんそんな「責任」をとらされてはたまらないので、日本の報道陣はほとんどイラクから逃げ出してしまって、例えば当初は60名以上居た日本の報道陣が、現在サマワに居るのはフリー2名だけという話です。いやはや。山形さんが「国が責任をもって拘束しろ、という議論」を心配する前に、日本のメディアはりっぱに彼ら自身の「責任」について考えて行動しているというわけです。