幽栖録

極私的備忘録

 その後、読んだ本

長安から北京へ』司馬遼太郎 中公文庫 
1975年5月の三週間、文革末期の中国紀行。当時の旅行なので、現地はすべて中国側がお膳立てした観光旅行。司馬は中国が好きなんだな。毛沢東にも(ある意味同情的ともいえるような)理解を示している。「孔丘の首」という章が、なんか司馬の性格というか物事に対する姿勢をとても良く表しているように感じて面白かった。その章のほとんど最初から最後まで儒教の礼に関する話である。今回の旅の経験から革命後の中国においてもいかにその礼が残っているかということを語り、同時に、しかし「儒教の本質が同血の秩序を倫理化したものである以上」「儒教は近代国家の成立と決して噛み合うことがない」のであって、それがある以上、近代国家として成立しえない、だからこそ新生中国は批孔運動を進める必要がある、と理解を示す。そんな記述が長々と続いた後に、少年宮という町内の少年たちのための遊技場のようなところで、林彪孔子の生首(を模したもの?)を箱の中にぶら下げて、それを(おもちゃの)ピストルで撃つという遊びをやらせて、批林(林彪)批孔(孔子)を教えているという、それを見た時の「アホかいな」という感情と、生じた違和感を、付け足しのように書いている。(もちろん、司馬は付け足しどころか、そのことを書きたかったのだろう。)