幽栖録

極私的備忘録

 京劇『覇王別姫〜漢楚の戦い』 東京芸術劇場 プレイハウス

出演:天津京劇院

〜以下、関連ホームページより引用〜

秦(しん)の始皇帝(しこうてい)が死ぬと、天下は乱れ、群雄が割拠した。
紀元前206年、秦王朝は滅亡。優勢を誇ったのは西楚(せいそ)の貴族の末裔(まつえい)で、百戦百勝の武勇を誇る覇王(はおう)項羽(こうう)であった。一方、弱小だった漢(かん)の劉邦(りゅうほう)は友軍を集め、勢力を拡大しつつあった。
項羽と劉邦は、 度重なる戦闘の末、一度は和議を結んだ。が、劉邦項羽を追い落とすには今しかないと判断、知将・韓信(かんしん)の提言によって、項羽の陣営に策士・李左車(りさしゃ)を遣わして投降を装わせ、項羽軍の出陣を促すという策略をしかける。項羽は、投降してきた李左車を最初は疑ったものの、裏切り者・周殷(しゅういん)の首を李左車が持参したことですっかり信用してしまい、李左車の献策を容れて翌日の出兵を全軍に命じた。虞子期(ぐしき)ら一部の臣下は思いとどまるように諌めるが、項羽聞く耳を持たない。
虞子期は項羽の愛妾(あいしょう)虞姫(ぐき)に口添えを頼む。虞姫は項羽のかたくなさを心配しつつ援軍を待つように言うものの、自らの強さを過信する項羽は忠言を聞き入れない。結局、敵の術中に落ち、激しい戦闘の末に九里山(きゅうりざん)に追い込まれて垓下(がいか)の砦(とりで)に包囲されてしまう。(第1幕)
戦場から幕営に帰ってきた項羽を、虞姫は優しく出迎え、ともに酒を飲む。初めて大敗を喫した項羽は「これは天が楚を滅ぼそうとしているのであり、戦に負けるのではない」とうそぶく。夜になり、四方から楚の歌が聞えてくる。実はこの「四面楚歌」も、韓信の巧妙な策だった。項羽はてっきり故郷の楚の地が劉邦の手に落ちたと思い込み、万策尽きたと判断する。そして虞姫との別れの時が 間近に迫ったことを予感する。虞姫は心をこめて剣舞を舞い、項羽の宝剣で自刃して果てたのだった。
項羽は愛馬・烏騅(うすい)を駆り、敵の包囲を突破して烏江(うこう)のほとりにたどりつく。そこには韓信によってさらなる巧妙な作戦が敷かれていた。(第2幕)