幽栖録

極私的備忘録

 その後、読んだ本

『日本語という外国語』荒川洋平 講談社現代新書
彼はスミスである。彼がスミスである。の違い。前者は、「スミス」を「誰?」に置き換えることが出来るが、後者は出来ない(彼誰?とは言えるが、彼誰ですか?とは言えない)。後者は、「彼」を「誰?」に置き換えることが出来るが、前者は出来ない(誰がスミス?とは言えるが、誰はスミスですか?とは言えない)。という違いを説明。AはBである、という表現で示されるあたらしい情報はBであり、AがBである、という表現で示される新しい情報は、Aである。これは「は」と「が」の違いの一番わかりやすい説明だったな。同じようにわかりやすい説明がいろいろ出てくる。
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子 朝日出版社
日清戦争から日露戦争第一次世界大戦第二次世界大戦へと進む日本の戦争の歴史を追いながら、なぜそうなってゆくのかを書いている。日中戦争から対英米開戦までの話が、そのバックボーンとなる日本の状況について、簡単に触れているだけなのでやや不満が残る。結局、開国以降の日本の海外戦略は「恐怖心」と「被害者意識」が軸になっていたんじゃないかと思う。1930年の産業別人口で、農業人口が46.8%あるが、農民の意見を代弁する政党、政治が無かった、というのはこの本で初めて気がついたな。だからこそ陸軍が力を持つ(国民の支持を得る)ことが可能となった。
『性愛奥義 官能の「カーマ・スートラ」解読』植島啓司 講談社現代新書
これはまあ、淡々とカーマ・スートラを、他の性愛の書(『素女経』中国、『匂える園』アラビア、『恋の技法』帝政ローマなどなど)などと比較しながら紹介する。『匂える園』というやつを見てみたいな(日本語版は仏語版からの訳?)。
『子供たちの夜』トマス・チャスティン ハヤカワ・ポケット・ミステリ
これは良い。1982年の作品で、物語の舞台はニューヨークのセントラルパークだ。離婚して一人で働きながら子育てをしている母親(仕事はある会社の副社長というそれなりの責任と忙しさのある立場で、家政婦を雇ったり、夜、外出の場合はベビーシッターを雇った入りしている)がいる。彼女が、やむをえない事情で夜中に娘を車に乗せて、しかしその車がセントラルパークの近くでパンクをしてしまい、母親が助けを求めに出ている間に、車に残していた9歳の娘が消えてしまう。母親は仕事を休んで、娘探しに尽力する。物語の大半は、その母親が娘を探すために浮浪者の身なりをしてニューヨークのダウンタウンやセントラルパーク周辺を歩き回ったりする様子で、それはいつかのクリント・イーストウッドの映画を思い出させるような、母親の執念というか、そういうものを感じさせる(浮浪者の身なりで、精神異常の浮浪者との喧嘩に巻き込まれてしまい、彼女も精神病院に収容されてしまうという場面もある)。母親の行動は、もちろん彼女の娘に対する愛情であり、読者はそれを十分に感じる。で、本の帯に「新ホラー・サスペンス」とあって、"どこがホラーなんだ"と思いながら読んでいるわけだが、これが最後の4ページ、いや0.5ページ、数十行で「なるほど新ホラーだ」と納得してしまうのである。週刊文春の1983年ミステリベスト10に入っているようだ。
『クロスロード・ネクスト』吉川・矢守・杉浦 ナカニシヤ出版
これは、まあ斜め読み。こういう手法がある、ということは知っておく必要がある。